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第51話 四十二分後に死ぬ女

Author: なつめ
last update publish date: 2026-09-10 07:38:34

 〈死亡予定時刻、午前一時十三分〉という自分自身の声を聞いてから、奈々香はまともに呼吸ができなくなっていた。

 美月が肩へ手を置いてゆっくり息を吐くよう促しても、彼女の視線はスマートフォンの時計へ吸いついたまま離れない。

 午前零時三十二分。

 残り四十一分という数字が一つ減っただけで、奈々香は喉を押さえ、橋を出ると言って車へ向かって歩き出した。

「ここにいたら死ぬ。私、帰る」

 悠斗が追いかけ、蓮司も橋を離れるなら六人一緒だと制した。

 誰も奈々香を一人にするつもりはなく、死亡予告が犯人の誘導である可能性を考えれば、指定場所から逃げることさえ罠になり得る。

 それでも奈々香は首を振り、今いる場所こそ殺されるために選ばれた場所だと言いながら、震える手で車のドアを開けた。

 運転席へ座った奈々香がスタートボタンを押すと、セルモーターすら回らなかった。

 警告灯だけが一度点き、すぐにメーター全体が暗くなる。

 奈々香は「なんで」と呟きながら何度も始動を試したが、結果は同じだった。

 朔がすぐに運転席から降ろし、車体へ触れる前に周囲を撮影する。

 蓮司が自分の車でも始動を試したが、そちらも反応せず、二台ともほぼ同時に電気系統を失っていた。

 悠斗がスマートフォンを取り出して警察へ連絡しようとすると、アンテナ表示は消え、圏外になっている。

 美月、蓮司、澪の端末も同じで、数分前まで使えていた位置情報共有も切れていた。

 山間部とはいえ、橋へ到着した時点では弱いながら通信できていたため、自然な電波状況の変化だけでは説明しにくかった。

「妨害されてる」

 朔は山林側へ隠されていた無線中継器とは別に、広い帯域へ雑音を流す小型の妨害装置がある可能性を指摘した。

 車の始動不能まで同じ設備で起こせるとは限らないが、少なくとも外部との連絡を切り、六人を橋周辺へ留める意図は明確だった。

 彼は自分の端末を操作しながら、通信が完全に失われた時刻と奈々香への死亡予告が流れた時刻を並べ、偶然にしては近すぎると呟いた。

「じゃあ、さっきの電話は?」

 奈々香が自分の端末を差し出した。

「圏外になる前にかかってきたんでしょ。誰から?」

 朔は着信履歴を開き、しばらく画面を見たあと眉を寄せた。

 そこには白石奈々香からの着信が存在しなかった。

 通話記録にも、不在着信にも、午前零時三十一分の発信は残っていない。

 全員が聞いた本人の声だけが残り、電話としての痕跡が端末の中から消えていた。

「でも鳴った」

 美月が言う。

「全員聞いた」

「あれは電話じゃない可能性が高い」

 朔は奈々香の端末を機内モードへ切り替え、さらに近距離通信を一つずつ止めた。

 通信回線を使わず、近くの無線設備から端末へ音声を送り込み、着信画面に似た表示を出す仕組みなら履歴へ残さないことはできる。

 事前に端末へ不正な設定やプログラムを入れられていれば、本人の番号や名前を表示することも不可能ではないという。

「いつそんなことされたの」

「七刻女学校、常世荘、その前からでも機会はある。奈々香の端末は何度も勝手な動画を保存してる」

 奈々香の唇が震えた。

 四番目の個室で澄花の映像が残ったときも、本人が操作していないファイルが端末へ現れている。

 少なくとも現在の犯人が奈々香の携帯電話へ何らかの方法で干渉できるという前提は、今夜突然生まれたものではなかった。

「死亡予告も、人間が作ってる?」

 奈々香は朔の袖を掴んだ。

「じゃあ私、死なない?」

 朔は答えなかった。

 奈々香の指がさらに強く布を掴み、「言ってよ、死なないって」と声を詰まらせる。

 朔は予告そのものは人間に作れると答えたうえで、午前一時十三分に何かを起こすつもりなら、仕掛けは別にあると告げた。

 声が偽物だと証明できても、安全だと断言する材料にはならなかった。

 奈々香の表情が崩れ、美月が間へ入るように手を添えた。

 現在の身体状態に突然死を示す兆候はなく、予告時刻まで座って待つ理由もない。

 むしろ犯人が何らかの殺害手段を橋周辺へ仕込んでいると考え、残された時間でそれを見つけるべきだった。

 澪も奈々香の手を握り、死ぬ時刻を当てられたのではなく、相手がその時間へ合わせて何かをするつもりなのだと繰り返した。

 午前零時四十三分。

 残り三十分になったところで、六人は二人ずつ互いを視界へ入れたまま周囲を調べ始めた。

 誰も単独にならず、橋、電話ボックス、二台の車、山林側の装置、旧道の路肩を順に確認する。

 奈々香は美月と澪の間から離れず、朔と蓮司が車両を調べる様子を数メートル離れた位置から見守った。

 最初に異常を見つけたのは蓮司だった。

 奈々香が運転してきた車の下へライトを差し込み、後輪付近で光を止める。

 地面へ垂れている液体はなく、外から見れば正常に見える。

 それでも配管の一部だけに新しい擦れ跡があり、保護材をずらすと、ブレーキ配管へ刃物で半分近くまで切れ目が入れられていた。

「動かすな」

 蓮司の声が鋭くなった。

 完全には切断されていないため、平坦な場所で少し走った程度ならブレーキが利く可能性がある。

 しかし振動や圧力が重なれば亀裂が広がり、下り坂へ入ったところで急激に制動力を失う危険があった。

 切り口の周囲にはまだ新しい金属粉が残り、かなり最近細工されたことも分かった。

 戻り橋からバイパスへ戻る旧道は、途中から長い下り坂になっている。

 奈々香が死亡予告に怯え、一人で車を出していれば、午前一時十三分前後にその区間へ到達していてもおかしくなかった。

 朔は切断面を撮影し、表面の酸化がほとんど進んでいないことを確認した。

「これだ」

 悠斗が吐き出すように言った。

「一時十三分に死ぬって言えば、普通はここから逃げたくなる。車に乗らせるための予告だったんだ」

 死ぬ時刻を予知したのではない。

 死ぬと信じ込ませ、その恐怖によって自分から殺害装置へ入るよう行動を誘導する。

 逃げれば逃げるほど、予告どおりの死へ近づくよう設計されていた。

 奈々香は自分の車を見たまま、膝から力が抜けそうになった。

 澪と美月が両側から支える。

 もし数分前、誰にも止められずエンジンがかかっていたらと考えたのだろう。

 始動不能さえ、犯人が別の罠へ誘導するため途中から追加したものなのか、それとも六人が車両を調べる時間を作るため偶然役立ったのかは分からなかった。

「でもエンジンを止めたのは誰?」

 美月の問いに、朔はバッテリー周辺をさらに調べた。

 二台ともボンネット内の同じ位置へ小型の遮断器が後付けされ、細い受信部がフェンダー内へ隠されている。

 遠隔信号で主電源系統の一部を止められる構造で、山林に設置された中継設備と組み合わせれば離れた場所から作動させられる可能性があった。

 犯人は橋へ来る前から二台へ触れ、逃げる時刻まで含めて六人の行動を組み立てていたことになる。

 奈々香が身体を抱くように腕を組んだとき、バッグの中で金属が鳴った。

 本人が触れた覚えのない硬いものが底にある。

 美月が不用意に手を入れさせず、中身を一つずつ出して確認すると、化粧ポーチと財布の下から古い鍵が一本落ちた。

「私のじゃない」

 鍵には長方形の木札がついていた。

 黒いペンで〈1:13〉と書かれている。

 悠斗が周囲を見回し、橋の反対側に建つ古い倉庫を指した。

 旧道の保守用品を置いていた小さな建物で、地図上ではすでに使用停止になっている。

「行くとしても奈々香は離す」

 蓮司が決めた。

 奈々香と美月、澪を橋上に残し、朔、悠斗、蓮司が倉庫へ近づく。

 鍵は使わず、まず窓と隙間から内部を照らした。

 朔が上を見た瞬間、動きを止めた。

 天井近くに、道路工事で使う重い鉄製部品が吊られている。

 床には細いワイヤーが張られ、扉を一定以上開けると留め具が外れる構造になっていた。

 鍵を持つ人間が何も知らずに中へ踏み込めば、数十キロの金属が頭上へ落下する位置だった。

「二つ用意してる」

 戻ってきた悠斗の声を聞き、奈々香は自分のバッグを見た。

 車で逃げればブレーキが壊れる。

 バッグへ忍ばされた鍵に気づき、〈一時十三分〉という札を手掛かりに倉庫へ入れば、頭上の鉄が落ちる。

 犯人は奈々香が恐怖の中で選びそうな行動を複数想定し、どちらを選んでも死亡予告を成立させられるよう準備していた。

「私が何するか見て、どっちかで殺すつもりだったの?」

 奈々香は吐き気を堪えるように口元を押さえた。

 自分の意思で選んだと思った行動そのものが、犯人の用意した選択肢だったと理解した瞬間、予告以上の恐怖が顔へ浮かんだ。

 蓮司は罠が二つ見つかったからといって全部とは限らないと告げ、朔も電話ボックス、欄干、橋面、河原へ続く斜面、車内まで残り時間で調べるべきだと続けた。

 午前一時を過ぎ、残り十三分になった。

 奈々香は時計を見ないようスマートフォンを美月へ預けたが、それでも何度も今何分かと訊いた。

 美月は嘘をつかず時刻だけ答え、そのたびに心拍数を確認した。

 澪は奈々香の手が冷たくなるたび、自分の掌で包むように握り直した。

 橋の中央部には目立った仕掛けが見つからなかった。

 路面下へ新しい配線はなく、欄干にもワイヤーや通電設備はない。

 橋上へ倒木や落下物を飛ばせる位置にも装置は見つからず、山林側の中継器以外に遠隔操作できる機材も確認できない。

 蓮司は最終的に、車と倉庫から離れ、六人全員が互いの手足を見られる橋中央へ集まることを選んだ。

 午前一時八分。

 残り五分。

 風は弱まり、川の音だけが一定に続いている。

 六人は道路の中央に固まり、奈々香を真ん中へ置いた。

 美月は彼女の脈を取り続け、朔は周囲と時計を同じ画面に収め、悠斗と蓮司は橋の両端を警戒した。

「死にたくない」

 奈々香が小さく言った。

 澪は隣で手を握った。

「分かってる」

「分かってないよ。自分の声で自分が死ぬって言われるんだよ。あと何分ってずっと数えて、どこ見ても罠かもしれなくて……」

 涙が頬を伝った。

 澪は軽い言葉で大丈夫とは言えなかった。

 代わりに握った指へ力を返し、ここに六人いることだけを伝えた。

 奈々香は何度も鼻をすすりながら、澪の手だけは離さなかった。

 午前一時十二分を過ぎると、最後の一分を知らせるように奈々香の呼吸が速くなった。

 美月が合わせるようゆっくり数えると、少しずつ息が深くなる。

 誰も電話には触れず、車にも倉庫にも近づかない。

 秒表示が五十七、五十八、五十九と進み、やがて時計は午前一時十三分を示した。

 何も起こらなかった。

 風が欄干の隙間を抜け、橋の下では川が流れ続けている。

 電話ボックスは鳴らず、山林から音もせず、道路のどちら側にも車の灯りは現れない。

 奈々香は数秒立ったまま、自分の胸や腕を確かめ、それから膝が折れるように路面へ座り込んだ。

「生きてる……」

 奈々香の声は涙に崩れた。

「私、生きてる」

 美月も膝をつき、脈と意識状態を確認する。

 異常はない。

 蓮司は一時十三分を過ぎたことを記録し、悠斗は強く息を吐いた。

 澪もようやく肩から力を抜き、奈々香の背中へ手を添えた。

「予告は呪いじゃない」

 朔の声音に勝ち誇る響きはなく、見つけた事実を一つずつ固定するような静かさがあった。

 犯人が恐怖を使って自分たちを罠へ入らせ、時間を告げ、逃げ道に細工し、手掛かりに見せた鍵まで持たせていたことを説明する。

 予告を信じた行動そのものを殺害手段にすることで、未来を言い当てたように見せているのだと結論づけた。

 奈々香は何度も頷き、顔を涙で濡らしながらも呼吸を取り戻していた。

 澪も初めて、胸を締めていたものが少し緩むのを感じた。

 少なくとも午前一時十三分という死は、六人が罠を見つけて避けたことで成立しなかった。

 その事実だけは、人間の犯人が作った規則を破れた証拠に思えた。

 その瞬間、美月が預かっていた奈々香のスマートフォンが鳴った。

 端末は通信機能を切られたままで、誰も画面へ触れていない。

 それでもディスプレイが勝手に点灯し、通常の着信表示すら出さず、スピーカーから奈々香本人の声が流れ始めた。

『死亡時刻を変更します』

 奈々香の表情から安堵が消えた。

 画面には新しい時刻として〈午前一時十四分〉と表示され、現在時刻は一時十三分を四十秒ほど過ぎている。

 朔と蓮司が同時に周囲へライトを振り、橋の両端、電話ボックス、旧道、山林を確認したが、人影はどこにもなかった。

「あと一分……?」

 奈々香が立ち上がろうとし、澪は咄嗟に手を掴んだ。

 動けばまた誰かの用意した仕掛けへ入るかもしれないため、その場から一歩も離れないよう美月も肩を押さえる。

 午前一時十三分四十秒を過ぎたころ、奈々香は澪の隣で、橋の欄干を背にする姿勢になっていた。

 その背後で、川側の闇から何か白いものがゆっくり持ち上がった。

 欄干の外側には人が立てる足場などなく、橋面から河原までは十数メートルの高さがある。

 それでも細い女の手がコンクリートの縁を越え、濡れた指を一本ずつ欄干へ掛けていくのが、澪にははっきり見えた。

 白い手は音もなく奈々香の肩まで伸び、午前一時十四分へ変わる直前、その指先が彼女の服へ触れた。

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